宵のつれづれシリーズは、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事を書きたいなということではじめたシリーズです。今回は56回、ドアスラムのソシオニクス的解釈、まだ続きます。
ドアスラムのソシオニクス的解釈③
ドアスラムという、インターネット・ランドで「INFJあるある」として語られがちな、ドアをバタンと閉めるように、突然、人間関係を終わらせる行為について。
前回・前々回で、ドアスラムしそうなIEIと、ドアスラムしなさそうなEIIを取り上げてみました。
この2タイプの印象の違いというか「似てるのに全然違う感」って、プラスマイナスの符号の違い、要は宣言型/探求型の違いが大きいかもなー…というのが私の言いたかったこと。
宣言型/探求型の話は#53でちょろっと触れたのですが、宣言型同士、探求型同士で、なーんか言動や行動が似てくるんです。
なのでIEIと同じ探求型のタイプは、どのタイプも「不快から遠ざかる」とか「悪を裁こうとする」ような行動の特徴がみられるということです。
かといって、どのタイプもドアスラムするか?というと、していないでしょうね。
ドアスラムというのは、罰としての効果は抜群です。「私何か傷つけるようなことした!?」と、自分の行動を強制的に反省させられることになるからです(こういう点で、ドアスラムする人は内向倫理が強い機能にありそうとわかる)。
ただ、不快から遠ざかる手段としてはヘタクソなんですよね。立つ鳥跡を濁さずと言うけども、突然音信不通になればそりゃ執着を生むよねという話。離れたいのにどんどん追いかけられてしまう、みたいな(こういう点で、ドアスラムする人は内向感覚が弱い機能にありそうとわかる)
罰を与えるのもうまいし、不快から遠ざかるのもうまいESIだったら?
ESIは、どんな小さな悪も意識的に許さないようにするし(主導する機能×内向倫理(-Fi))、どんな不快も無意識に遠ざけています(証明する内向感覚(-Si))。
たとえば、許しがたい相手に対しては、

………………………(イライライライライライライライライライラ)。
ただ、ありえないほどの殺気を身にまとわせます。
ESIは、ドアスラムしないでしょう。なぜなら、こういうモードに入ったESIにはそもそも誰も近寄れないので、突然ドアをバタンと閉める必要がないからです。
※ひよこちゃんのセリフはイメージです。