宵のつれづれシリーズは、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事を書きたいなということではじめたシリーズです。今回は55回、ドアスラムのソシオニクス的解釈の続きです。
ドアスラムのソシオニクス的解釈②
ドアスラムという、インターネット・ランドで「INFJあるある」として語られがちな、ドアをバタンと閉めるように、突然、人間関係を終わらせる行為について。
前回は、色々なことは置いておいて、ソシオニクスでドアスラムをしそうなのはどのタイプかなーと考えました。
ソシオニクスは多種多様なので、一概にこうだ!と言いにくいところがあります(その多様さがいいところでもある)。
が、少なくともストラティエフスカヤ流モデルAとストラティエフスカヤ流タイプ像をあてにするのであれば、まあIEIだろうなーEIIではないわなーという話なのでした。
で、今回は比較対象としてあげたEIIのモデルAのほうを小出しにしたいと思います。
前回、ドアスラムに深く関わってそうと判断した要素、内向感覚(からだの感覚)と内向倫理(関係の倫理)。
EIIの内向感覚は、SEI系統※の内向感覚(+Si)です。不快を避けるよりも、快を追い求める感覚。快を得られる対象との距離を縮める感覚。
またこの内向感覚、EIIのモデルAでは、動員する機能に該当します。動員する機能は、弱く、無意識ながら価値を感じている機能(極端になりやすいなどの特徴もあり)。
また、EIIの内向倫理は、EII系統の内向倫理(+Fi)。裁く倫理というよりは、赦し受け入れる倫理。
EII系統…というだけあり、この内向倫理は、EIIの主導する機能に該当します。強く意識している、もっとも大切な事柄がここに関連してきます。
こういうとこから、EIIはこんなタイプと言えます。
- 快を得るために距離を縮めたがるが、SEIより不自然な方法をとりがちである。またSEIとは違い、無意識にそれを行っている(+Si)。
- ほかのどのタイプよりも意識的にそして上手に、人の悪いとこを赦し歩み寄る(+Fi)。
この2要素だけでもIEIとはだいぶ毛色が変わります。
人から離れるよりも人に近づいていくようなタイプであり、かつ悪いとこを意識的に赦す寛大なタイプが、果たしてドアスラムなんて頻繁にやるだろうか?(いや、やるまい。ドアスラムなんか己の狭量さを示すだけだから)……と私なんかは思うわけですね。
プラスマイナスは宣言型/探求型で逆転するのですが、この違いを考慮すると、タイプのイメージが湧きやすくて、面白いと思います←面白いしか言ってないな
今日はこのへんで。
※「系統」はロシアのソシオニクスの用語とかじゃないです。私がそう呼んでるだけです。
※プラスマイナスの符号はほかの研究者も使っていることがありますが、ストラティエフスカヤの使い方とはちょいと違う可能性あります。