仕事帰りの電車の中で読めるをコンセプトにした、宵のつれづれシリーズ第11回目。今日は、IEEとSLI、別の太陽と別の衛星というタイトルでお送りします。
IEEとSLI、別の太陽と別の衛星
すてきな比喩を見つけたりひらめいたりすると、思わず誰かに伝えたくなります。比喩は、人の心にわすれがたい印象をのこします。
ですが、比喩はあくまで頭の中のイメージを豊かにするための表現であって、正確さや厳密さはありません。
そして、同じ言葉を、異なるものの比喩として用いることも当然あります。
たとえば、前回までは、SEEを太陽とたとえる比喩を紹介してきました。が、#8でも触れているとおり、ストラティエフスカヤが太陽にたとえるソシオタイプは、SEEだけではありません。
さらに言えば。太陽と衛星にたとえられている関係も、SEEとILIだけではありません。IEEとSLIの双対関係もまた、その比喩を使って説明されている箇所があります。引用してみましょう:
――(…)ハクスリー(※IEEのこと)は潜在的なパートナーたちに対し、太陽の周りを回る惑星のように、特定の軌道でその周りを回転する「衛星」の役割を割り当てる…。
――この「太陽系」で回る「惑星」が多くなればなるほど、「太陽」はますます明るく輝き、ますます多くの機会が手に入り、ますます気持ちよくなるのです。
Дуальные диады 4й квадры: ИЭЭ – СЛИ | Соционика от Стратиевской, 拙訳.
これは、とある美女のIEEが、5人のアプローチしてきた男たち全員と親しくし続け、なんなら男たちもみんな知り合いにさせた、というエピソードの説明に用いられた比喩です。
ここでの太陽・IEEは、5人の男たちをすべて自分の衛星に任命し、つかず離れずの距離を保つようにしました。つまり、誰のこともハッキリとは断らず、同時に誰にも(恐らく)ハッキリとはOKを出しませんでした。
そしてこうしたIEEのふるまいは、人によってはあまりにも罪深いのですが…SLIにとっては別です。IEEとSLIの双対関係では、むしろこのIEEの太陽という立場は「多くの点で便利であり、唯一の正しい立場」になります。
…前回から続けて読んでくださっている方の中には「ん??」と思った方がいるかもしれません。というのも、前回紹介したSEEとSLIの幻想関係の引用の中で、SLIは、SEEの衛星になることを暗に拒否していたためです。
自分は宇宙のほぼ中心で、パートナーは自分の周りを特定の軌道で回る「衛星」であるとカエサル(SEE)は考えていますが、彼の自己中心性・傲慢さと、ギャバン(SLI)の自由への愛そして内心高まっている独立心が衝突します。カエサル(SEE)は、この自分のシステム(※自分が中心のシステム)に合わないものすべてに対し、心の奥深いところで不満を覚えます。
Миражные отношения: СЭЭ — СЛИ | Соционика от Стратиевской, 拙訳.
ストラティエフスカヤによれば、SLIは、自由を愛する人です。自分の好きなところへ自由にでかけていきたいし、誰にも支配されたくないし邪魔されたくない。でも太陽・SEEの衛星になってしまえば、そういう自由な生き方はどうにも難しい。だから、SLIは、太陽・SEEを中心とするシステムに組み込まれないよう抵抗するのです。
でも、そんなSEEの衛星になることを拒否するSLIであっても、太陽・IEEの衛星にはなるのです。
なんでや!…と思うかもしれません。が、SEEとIEEをそれぞれ「太陽」にたとえるとき、そしてILIとSLIを太陽を回る「衛星」にたとえるとき、それらが伝えたいイメージはそれぞれ少しずつずれていることでしょう。
つまり、SEEを太陽と呼ぶときは、あたり一面を灼け尽くすギラギラの太陽のことかもしれませんが、IEEを太陽と呼ぶときは、そうではないかもしれません。
その比喩は、一体、何を伝えるために使われているのか。比喩を楽しむときは、そういったことを考えることが重要です。