仕事帰りの電車の中で読めるをコンセプトにした、宵のつれづれシリーズ第10回目。今日は、太陽観測衛星・ILIというタイトルでお送りします。
太陽観測衛星・ILI
前回、前々回と太陽・SEEの話をしました。他にもストラティエフスカヤの表現で、関連がありそうな(辛辣で)面白い表現を見つけましたので紹介します。どんだけ太陽・SEE好きやねんと思うかもしれませんがお付き合いくださいませ。
それが、これ↓になります。SEEとSLIの幻想関係の記事の引用です。
自分は宇宙のほぼ中心で、パートナーは自分の周りを特定の軌道で回る「衛星」であるとカエサル(※SEEのこと)は考えていますが、彼の自己中心性・傲慢さと、ギャバン(※SLIのこと)の自由への愛そして内心高まっている独立心が衝突します。
Миражные отношения: СЭЭ — СЛИ | Соционика от Стратиевской, 拙訳.
ストラティエフスカヤによれば、SEEは、自分=「宇宙のほぼ中心」、パートナー=「衛星」だと思っているらしい。まあ太陽らしいと言えば太陽らしいですよね(?)。ですが、そんな太陽・SEEが中心のシステム(太陽系)に対して、個人主義・SLIの場合だとどうにもかみ合わない。そんな話が引用部でされています。
SLIとの幻想関係の話はまたいずれにしますが、大事なことは、太陽・SEEが、とにかく衛星みたいなパートナーを期待しているということです。上の引用は次のように続きます:
カエサル(SEE)は、この自分のシステム(※自分が中心のシステム)に合わないものすべてに対し、心の奥深いところで不満を覚えます。それはカエサルが無意識のうちに、控えめで慎重なバルザック(ILI)に焦点を合わせているからです。
同上
SEEは、自分中心のシステムに合わせてくれる人じゃないと、どうしても不満を感じてしまいます。で、それは、SEEが無意識に双対・ILIを求めているからというのです。
ご存じない方のために言うと、双対関係はソシオニクスで(理論上は)もっとも理想的な関係です。
SEEにとって、双対・ILIはまさに理想的な「衛星」となりますが、この「衛星」という比喩の秀逸な点は、やっぱり、衛星は、つねに付かず離れずの距離を保ちながら、太陽の周りを回るというところですね。
言い換えると、太陽・SEEが求めるパートナーは、自分とは完全に一体化しない。要は、独立した人間でありながらも、SEEが中心であることを否定しない。そんな人。いやもうそれは完全にILI(?)。
引用は、こう続きます:
バルザック(ILI)は双対(SEE)の「ありとあらゆる活動」に耐え、カエサル(SEE)の「翼」の下で自分にとって快適な場所を見つけることができる人です。
同上
太陽の衛星であるからには、やはり太陽の放つ膨大な熱エネルギーに耐えられなければいけません。多くの者は、どんなに衛星になりたいと思っても、この熱に灼き焦がされて炭と化すか、まず目がつぶれてしまいます。
でも、衛星・ILIは違うんですよね~。太陽・SEEのどんな活動にもうまくついていくことができます。なんなら太陽・SEEのそばに自分の心地よい居場所さえ見つけてしまいます。(※「翼の下で」はロシア語の言い回しでストラティエフスカヤがよく使いますが、「保護下にある」という意味です。)
太陽・SEEと衛星・ILIのこの見事なマッチング。ソシオニクスの、こういう「うまくできすぎている」感じ、だいすきです。
最後。余談みたいなもんですが、この記事書くときに「太陽の周りを回るのは衛星ではなく惑星では?」と疑問がわきまして。で、ワタクシ、調べました。
どうやら、太陽の周りを回る太陽観測衛星というのがあるらしくて。
だから「太陽の周りを回る衛星」という説明でも、まぁー別にいいかぁーって感じで今回「太陽と衛星」で説明を突き通しました。
また、今回のタイトルもここからとって、太陽観測衛星・ILIとしてみました。太陽観測衛星は別に太陽と補完し合っているわけではないから、補完し合う双対の比喩としてビミョい気もするけど、太陽・SEEを冷静に見守ってる感じが、なんとなくILIっぽさあり良いのではなかろうか。字面もカッコイイし。