仕事帰りの電車の中で読めるをコンセプトにした、宵のつれづれシリーズ第8回目。今日はSEEとSEE、2つの太陽というタイトルでお送りします。
SEEとSEE、2つの太陽
「太陽みたいな人が好き」って、わりとよく聞くと思います。明るくて温かくて、誰もが好感を抱くような、でも手が届かないような人…。そういう人に憧れる心情は、理解しやすいものだなと思います。
ですが、こういうふうに思うことないですか?
「自分が太陽だったとしても、やっぱり太陽みたいな人を求めるのかな?」
…つまり、すでに明るくて温かい人も、自分よりももっと明るくて、自分よりももっと温かい「より偉大な太陽」に憧れるのかなって。
「太陽」という比喩はいくつかのソシオタイプでよく用いられますが、SEEというタイプもその1つでしょう。
こういう太陽みたいなSEE同士が出会ったらどうなるのかについては、ストラティエフスカヤが、こんな説明をしています:
2人のSEEは、同じ地平線上に浮かぶ2つの太陽であり、お互いがお互いに身を焦がし、お互いがお互いの目をくらませます。
Тождественные отношения: СЭЭ — СЭЭ | Соционика от Стратиевской
これはSEEとSEEの同一関係についての記事の引用です。
同一関係とは、同じソシオタイプ同士の関係で、共感しやすいんですが、お互いに補完し合えない関係でもあります。
上の引用の後半部分では、太陽みたいなSEE同士が、お互いに相手の眩しさに盲目になって恋焦がれてしまう様子が描かれています。
太陽みたいな人も、太陽みたいな人のことを魅力的に思うことはあるわけですよね。SEEが、別のSEEに魅力を感じて、親しくなったり、交際に至ったりすることだって当然あるでしょう。
ですが、大事なことに、2つの太陽は共存できません。太陽はいつも1つです。この世界の秩序ではそうなっています。なのにその太陽が2つある、ということは…?
私たちのうち、どちらかが…
ニセモノってコト…?
こういう漫画の展開ってよくある気がするんですが、具体的になんだったか全然覚えていない。
で、もしこれが別のタイプ同士なら、「あなた、ニセモノですよね? だって太陽は1つしかないのにおかしくない? ホンモノだって証拠あるんですか?」なーんて論破とかして揉め始めるかもしれません。
が、SEEというタイプ同士は、そうしません。だって、太陽ですよ? 太陽は論破しません。太陽は、ただ輝き続けます。
SEE同士のカップルは、(表面的には)明るさと温かさで満ち溢れます。太陽が2つある世界を(表面的には)はっきり否定することもないでしょう。「私もあなたも輝いててステキ!OK!」と、(表面的には)笑っています。
こうして、「相手を否定せず、自分も折れない」という一見ステキ・スタンスによって、皮肉にも、空には太陽が2つあるままになります。世界の秩序はすでに崩壊しています。太陽が2つになったことで気温が上昇して、生物は耐えられずに絶滅してしまいました。
2つの太陽・SEEは、この混沌とした世界を目の当たりにするでしょう。こんな世界を望んだわけではなかった、と絶望しながら。それからお互いがこんなふうに思っているかもしれません:
「私をさっさとホンモノの太陽だと認めて、『いやいやあなたの輝きには適いません!』って降参してくれれば、世界は救われていたのにね」
うーん、なんという後味の悪いBAD ENDでしょう。今日はここまでにしますが、1行でここまで妄想が膨らむので、ストラティエフスカヤはやっぱり面白いです。