モデルAの第7機能「無視された機能」とは?4つの特徴を紹介。 | いざよいブログ
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モデルAの第7機能「無視された機能」とは?4つの特徴を紹介。

アイキャッチ:モデルAの第7機能「無視された機能」とは?4つの特徴を紹介。 ソシオニクス

ソシオニクスのモデルAについて解説をしています。今日はモデルAの7つ目の機能で、情報を制限して身を守る、無視された機能を紹介します。

モデルAの第7機能「無視された機能」とは?

無視された機能は、モデルAの7つ目の機能であり、イドブロックの1つ目の機能です。イドブロックについては以下。

無視された機能は、英語では”ignoring function”といいます。訳は文法的には「無視する機能」のほうが正しいですが、イメージしやすさを優先しました。他にも、

  • 第7機能
  • 観察する機能
  • 制限する機能

などと言われます。観察する機能は”observing function”、制限する機能は”limiting function”を訳したものです。

各タイプの無視された機能

ソシオタイプは全部で16つあり、タイプごとに無視された機能の種類(※8つの要素のことです!)が異なります。

無視された機能の一覧は以下です。

ソシオタイプ 無視された機能の要素
SEISLI 外向感覚(Se)
SLESEE 内向感覚(Si)
IEIILI 外向直観(Ne)
ILEIEE 内向直観(Ni)
ESIEII 外向倫理(Fe)
ESEEIE 内向倫理(Fi)
LIILSI 外向論理(Te)
LIELSE 内向論理(Ti)

各要素については、以下の記事でざっくり説明をしています。

無視された機能の特徴

以下では、無視された機能の特徴について見ていきましょう。

無視された機能は、スルーして情報を制限する!

無視された機能は、強い機能であり、自我ブロックの機能である主導する機能や創造する機能と同じくらい上手に使うことができます。

しかし人が自我ブロックの機能を積極的に使おうとするのとは違い、無視された機能のことは、その名の通り無視して情報を制限しようとします

たとえば、話し相手から無視された機能に情報が注がれ続けると、スルーしたり話を変えたりします。

ふつうは、長時間の会話からこのアスペクトについての情報を受け取ると、その情報を無視したり端折ったりしますが、それによって話が拡大するのを制限しているのです。

Model A – Wikisocion

このように無視された機能は、スルーによって情報が広がらないようにするのが基本です。また、他の人が無視される機能を使うのを見るときも、基本的にはスルーして特に注目しません。

時折無視された機能を激しく使うような人を見ると、感心することはあるかもしれませんが、しかし一般的にはたいして注目に値するものではないと考えます。

Model A – Wikisocion

ただし自分の無視された機能を思いがけず使っていることはあります。たとえば、自分の主導する機能を使うとき、たいてい無視された機能も何かにハッ!と気づいてしまいます。しかし誰かにこの気づきを伝える場合は、下手に情報を広げないよう慎重になります。

たいてい、主導する機能は無視された機能に関して思いがけない副産物をもたらします。しかしこのような情報を説明するときには、主導する機能の見方にフィットするよう、かなり注意深く言葉を選びながら行います。

Functions – Wikisocion

なお無視された機能は、主導する機能がサブタイプの場合は、より強く無視されるとも言われているそうです。

無視される機能は、目の上のたんこぶ!

このように無視された機能は、情報を制限したがります。ここには頑固さがあります。ちなみに頑固な機能はこれまでに3つ挙げています。1つ目の主導する機能は、既に完成されているので情報を受け付けませんでした。2つ目の脆弱な機能は、苦手意識があるので情報を拒みました。3つ目の動員する機能の頑固さは幼稚さのあらわれでした。

4つ目の無視された機能が情報を制限するのは、自分にとって邪魔な存在だからです。

他の人から無視された機能の使用について説かれると、これを不必要な情報であると考えます。というのも、人はこの機能の使い方はよくわかっています。しかしより便利な主導する機能を使いたいがために、この機能は使わないように決めているからなのです。

Model A – Wikisocion

無視された機能がなぜ邪魔な存在なのかには、主導する機能の存在が関係してきます。主導する機能は、自分の核となる価値観であり、頭の中に描く設計図です。そしてこの主導する機能と無視された機能は、「同じ分野に正反対の方法で接近しようとする」Functions – Wikisocion機能です。つまり、自分がやりたいこととは真逆のことをしようとするのが無視された機能なのです。このため無視された機能は「仮想敵Functions – Wikisocionとみなされることになります。

しかし無視された機能は当然ながら自分の一部です。これが他人なら完全に遠ざけてしまうこともできますが、自分からは逃れられません。

この機能は潜在意識下で、悩みの種としてしつこく自分を困らせます。

Functions – Wikisocion

無視された機能は、まさに目の上のたんこぶ。ついてまわるものなのです。

無視された機能は、「できない」ではなく「やる必要がない」!

このように無視された機能は邪魔なのでスルーするわけですが、スルーしすぎると、苦手な弱い機能であると感じることがあります。しかしこれはまったくの誤解です。自信を失ったり「使えるようにならなきゃ」と焦る必要はありません。繰り返しになりますが、無視される機能は「できない」のではなく「やる必要がない」だけだからです。

この機能を回避しすぎていると、時々この機能が弱いように見えることがあります。しかし無視された機能を使用しているときには、本当に弱い機能を使っているときと同じ種類の心理的なストレスは起こらず、代わりにある種の退屈と倦怠感が生じます。

Functions – Wikisocion

超自我や超イドの機能のような弱い機能を使わないといけないときは、ストレスを感じます。いまいち上手に使えないし、自信も持てないからです。

しかし無視された機能はあえて使わないだけです。あえて使用を制限しているだけです。だからなんらかの事情で使わなければいけなくなったとしても、ストレスで胃がキリキリ痛むようなことはないでしょう。むしろ退屈すぎてイライラするくらいです。

(…)この機能を長く深く働かせることは、退屈で不必要なこと、さらにはイライラさせることとして受け取られます。

Model A – Wikisocion

「こんなことして何の意味があるの?みんな暇なの?」なんて思うかもしれません。

無視された機能は、危険を警告するときには上手に使える!

基本的には邪魔だし不要なのでスルー、使えないことはないけどマジ退屈。そんな無視された機能は、一体何のために備わっている機能なのでしょうか?完全に無用の長物なのでしょうか?

この答えは一言で言えば、危険を察知して自分や周りの人を守るためです。

これは強い機能であり、その行動が向かうのは、何をすべきではないのか・どう行動すべきではないのかに気づいたり、潜在的な結果について仲間に警告したり、そして仲間が有害な状況に打ち勝てるような手助けとして見込みのある行動を勧めたりすることです。

Model A – Wikisocion

最初のほうで、「主導する機能を使うとき、たいてい無視された機能も何かにハッ!と気づいてしま」うと言いました。ここで「ハッ!と気づいてしま」う「何か」というのは、潜在的な危険のことでしょう。最低限何をしてはいけないか、それをやるとどんなヤバいことになるのか、どうすれば今のヤバい状況を乗り越えられるのか。こういった視点で警告を行えるのが、無視された機能です。

危険を察知し警告するという性質上、無視された機能が注目するのはいつも「今・ここ」です。

証明する機能と同様、無視された機能の活動は、自分が経験している今・ここの状況に向けられており、何らかの一般的で全体的な時には注目していません。

Model A – Wikisocion

無視された機能の仕事は危険の回避なのであって、一般的にどうだとかその他の場面ではどうだとかはどうでもいいことです。たとえば、今にも溺れそうな人を見かけたときに、

???
???

海や川などでは溺れるリスクがあるため無暗に近づかないことが賢明でありまた水深の浅いところでも決して油断してはならないなぜなら人はお風呂場や水深20cmの浅瀬であっても溺死することはあるのであって…

なんて言わないですよね。無視された機能は、「誰にでもどんな場面でも言えること」は言いません。「おい早く戻ってこい!」とか「そっち行ったら危ない!」など、「今・ここ」の危険についての話をするはずです。

このように人に警告を行える機能なので、無視された機能は、プライベートな場面では比較的よく使われます。

この無視された機能の要素は公の場面で表現することを制限しますが、私的な場面では時々、大々的に使って、必要なときには頼ることができます。

「赤の他人にはしないけど、大切な人だからこそできる指摘」ってあると思います。たとえば、「この人失敗しそうだな~」と思っても、それが自分にとって無関係な相手なら放ってしまうことはないでしょうか。それは、無視された機能を使うのはダルいことだからです。ダルい思いをしてまでわざわざ警告しようと思えるのは、その人との関係が自分にとって見過ごすことのできないものだからでしょう。

誰かに警告をするとき、誰かに警告することをくだらなく思い始めたとき、逆に誰かから警告を受けて「うるせーな」と思ったとき、このことを思い出してみるといいかもしれません。もちろんその警告が相手もしくは自分にとって有益かどうかは別問題です。しかし、警告をする自分もしくは相手が、その関係をどう捉えているのかを理解する指標にはなりそうです。どうでもいい関係なのか、あるいはそうではないのか。

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