仕事帰りの電車の中で読めるをコンセプトにした、宵のつれづれシリーズ。今回は第44回目、強奪する機能です。
強奪する機能
前回、暗示される機能のギャップについて書きました。
暗示される機能が作り出すのは、「いつもクールで厳しいシゴデキパーソンがふと見せる脆さ」的な、時折見せる弱さつまりかわいさであり、そこが垣間見えるとギャップになり、人々の心に矢を放つのだみたいな話をしました。
…ですが、1つ注意点。
暗示される機能はギャップなのね♡ そンじゃ…、私も暗示される機能を見せつけて、殿方をキュンッ♡とさせちゃおうかしら…?♡
↑このように企んでる方がもし読者の中にいらっしゃったら、やめたほうがいいよ絶対!…という話をこれからしていきたい。
でね、今回私が言いたかったことなんですけど、すでにストラティエフスカヤが説明してくれていました。なのでもう言うことありません。勝手に読んでください。
…というのもあれなので、引用します。
各ソシオタイプのモデルにおける暗示される機能は、双対からの情報的な支援を期待して、柔軟に巧みに自分のニーズを思い出させる弱くて幼児的な機能であるだけでなく、暗示的な側面の観点で必要かつ望ましいすべてのものを残酷に操作的に強奪する機能でもあります。
Деловые отношения: СЭЭ — ИЭЭ|Соционика от Стратиевской, 拙訳
暗示される機能は、赤ちゃんのようにか弱く助けを求めているだけのかわいい機能…というだけでなく、常に飢えていて必要なものを何がなんでもむしりとるような一面もあるということ。
強奪する機能――自分が欲しい助けを手に入れるまで、つまり永遠に、相手に要求を繰り返す。
何を言っても泣き止まず、人目をはばからず地団駄を踏む子どものように。
何度断っても納得せず、一向に引き下がらないクレーマー客のように。
あるいは、どんなに愛を伝えても満足しない恋人のように…?
「愛してる」? それなら、私のために24時間365日休みなく働けますか? 世の親は”愛する”子どものためならそれくらいできますよ? ここで言葉に詰まるなら、それが貴方の答えですよね。
※ひよこちゃんのセリフはイメージです。
次回は、もうちょっと具体的な例で掘り下げてみようと思います。