仕事帰りの電車の中で読めるをコンセプトにした、宵のつれづれシリーズ。今回は第41回目、随意の感覚です。
随意の感覚
私の趣味は、ストラティエフスカヤを和訳することです。最初は翻訳機にかけて内容をざっくりと掴み、時間があるときにそのざっくりした和訳を自分できれいに訳し直す…というやりかたをしています。
Twitter(現:X)でも書いたんですけどね、この前いつものように、訳し直す前の機械的すぎる和訳を目で追っていたら、たまたま「随意の感覚」という見慣れない日本語が目に留まりました。
対応するロシア語を見ると《волевой сенсорика》。英語だとstrong-willed sensorとか、volitional sensorとかがよくあてられてて、私がそこから一貫して「意志の感覚」と訳していたやつです。ま、要は外向感覚のことです。
それにしても「随意」ってあまり聞きなれない言葉だけど、どういう意味だろう? そう思って何気なく調べてみました。
随意とはまずこういう意味だそうです↓
ずい‐い【随意】
随意(ズイイ)とは? 意味や使い方 – コトバンク
[名・形動]束縛や制限を受けないこと。思いのままであること。また、そのさま。「どうぞ、ご—にお休みください」
ふむふむ、なるほど。
Googleにサジェストされた「随意運動」という言葉もついでに調べました。
ずいい‐うんどう【随意運動】
随意運動(ズイイウンドウ)とは? 意味や使い方 – コトバンク
脊椎動物で、自分の意志によって行われる運動。大脳皮質からの刺激によって随意筋が収縮し運動が起こされる。これに対し、心筋の収縮、反射などは不随意運動という(…)
具体的には、歩く、立ち上がる、握る、うなずく、視線を動かす、声を出す…みたいな、書いてある通り「自分の意志によって」行われる運動のことみたい。ちなみに呼吸や瞬きは、不随意に起こる運動だけど、自分で随意に制御もできる、という中間の感じらしい。確かにね。
うん、わかりやすい。
ソシオニクスの外向感覚は、自分の目的のため、自分の思うままに自分の身体を動かしますし、まるで自分の身体の延長であるかのように、ヒトやモノも動かそうと働きかけます。
それは友達に「ちょっと持ってて!」と荷物を渡すくらいの些細な働きかけでもよいのです。別に、大魔王が「ククク…この世界は我のものだ…!」と人々を駒のように操るといった、そんな大げさな働きかけである必要はありません(誰もそうは思ってないか?)。
翻訳機由来の堅苦しい訳も、たまに見ると勉強になりますね。