仕事帰りの電車の中で読めるをコンセプトにした、宵のつれづれシリーズ。今回は第35回目、内向感覚の記事ばかり増える謎です。
内向感覚の記事ばかり増える謎
『宵のつれづれ』という「リハビリ」をはじめて5か月が経ちました。
このシリーズでは、「自分が面白いと思ったことを書く」ように決めましたが、続けるうえで、1つ懸念がありました。それは、自分や身近な人のタイプの話ばかりになってしまうんじゃないか?ということ。
…なので極力そうならないよう、様々なソシオタイプについての「面白い!」を意識的に集めました。
そしたら! 懸念していたこととは別の、自分の中にある思いがけない傾向性に気づくことになりました。
それは、「面白い! 書こう!」と思ったテーマがなぜか内向感覚のことばっかりだということ。
たとえば#2ではSEIの主導する機能の内向感覚、#3はESEの創造する機能の内向感覚を書きました。#7ではIEI、#18ではESI、#29ではSLIの内向感覚を書いています。それ以外にも明言していないけれども実は内向感覚の特徴を書いているところもあります。
でもこれはかなり抑えたほうで…、書く前に「あーまた内向感覚じゃん!」と気づいてやめたテーマがたくさんあったりします。
書くときもそうなんですが、そもそも内向感覚についての情報がいちばん記憶に残っています。私が大好きなストラティエフスカヤを読んでいても、「面白い!」って思うのはいつも内向感覚についての話。LIEがESIによって風呂に入れられる話もそうでした。ストラティエフスカヤだからそうなのかとも思いましたが、AushraやGulenkoを読んでもそう。
逆に他の要素についての情報は、読んだときは「へー!」と思うけど、次の日には忘れてしまうくらいには印象に残りづらい(記事書くときも全然覚えてなくて困る)。
でも私IEIなので、私自身は別に内向感覚のことさほど重要視していないんです。まあそこまで大事なこととは思っていない。IEIにとっては規範の機能で、価値を置かない要素ですから。なのに、内向感覚の情報をやたら覚えたがるんです。不思議デスネ。
ソシオニクスの理論的になぜそういうことになるのかについては次回以降に回しますが、まさかこんな傾向が記事にもあらわれるとは思っていなかった。