仕事帰りの電車の中で読めるをコンセプトにした、宵のつれづれシリーズ。今回は第27回目、LSIの助けを求めてです。
LSIの助けを求めて
前回、EIE流・ファンタジーという記事を書きました。
EIEは、高潔すぎるがゆえ犠牲となってしまう不憫なヒロイン像を、ファンタジーとして作り出す…というような話をしました。
しかし思い出してもらいたい。ベータ・クアドラは、支配され虐げられることを何よりも恐れるクアドラです。そしてEIEだって例外ではありません。そんな人が、不幸な犠牲者の役割を、何の理由もなく引き受けるでしょうか?
ではでは、いつものストラティエフスカヤを引用しましょう。
(…)EIEにとって、架空の無防備さは保護と支援を求めるある種のゆすり行為であり、もし自分のSOSが誰からも気づいてもらえなければ、自らを破壊する準備ができていること、つまり自らを最下層の立場へと貶める準備ができていることの見せつけです――なんて無防備!
Конфликтные отношения: ЭИЭ – СЛИ (Часть 1)| Соционика от Стратиевской
前回書いた「架空の無防備さ」というEIEのファンタジー。EIEが、何かのために自分の身を積極的に犠牲にして同情を引こうとすること、これは彼女曰く、ある種のゆすりです。
要は、EIEは自らを人質にとったんです。それはかわいそうな自分を演じることで、周囲の人たちの感情を揺さぶり、自分の要求を押し通すためであり、相手から保護と支援を引き出すためです。
さて、ソシオニクスにおいては、すべての行動は双対向けに設計されていると考えたりすることがあります。
なので、EIEの「ゆすり」も、双対・LSIから助けてもらうことを期待しての行動だと考えると、だいぶかわいらしいものに思えます。
…でも行かなきゃ! 大好きなこの村を、失いたくないの。
うん、あなたの思いはわかった。村が大事で守りたいんだよね。でもね、1人よりは複数人で行くほうがいいよ。危ないからね。あと出張するときは、上長に確認とって、出張申請。じゃあそしたら、次の会議でメンバー決めよっか。
多分、めちゃくちゃ現実的な手続きの話になる。でもこれのおかげで、EIEの大いなる計画は円滑に進みそうですね。
ですが双対・LSIがいない場合、EIEの「ゆすり」はストラティエフスカヤの言う通りの、つまりは文字通りの「ゆすり」になり、あんまりかわいらしくないものになるかもしれません、きっとこんなふうに…。
ありがとう。…でも行かなきゃ! 大好きなこの村を、失いたくないの。
……誰かは行かなきゃいけないしね…。私は1人でも行くつもりだよ。
でも一応…。一緒に行くか行かないかだけ、答えてくれる…?
EIEを1人にするわけにはいかないし…仕方ないけど行くよ…。
別に行く必要ないと思うけど…イキマス…。
僕は行けないです、僕も大事なものがあるんで…。
答えてくれてありがとう。行かないのは個人の自由だからとめないけど、この村だって大事なものだよね。もっと真剣に考えてほしいな? もちろん、C男くんだけじゃなくて。
……やっぱり行きます…。
うん、君の勇気に感謝します。
このグループ、嫌すぎるな。色々な意味で。
※ひよこちゃんのセリフはイメージです。