仕事帰りの電車の中で読めるをコンセプトにした、宵のつれづれシリーズ第18回目。今日は、ESIの当たり前というタイトルでお送りします。
ESIの当たり前
前回、前々回と、ILEとESIの衝突関係について紹介してきました。今回も前回と同じ個所を引用しましょう。ILE夫に対するESI妻の不満げな語りです。
「夫はジムのトレーナーとして働いていて、毎日、私は夫のトレーニングウェアを洗わなければいけませんでした。でもそんなのは些細なこと。一番キツかったのは、仕事から帰ってきた夫をお風呂に入れることでした。彼はお風呂にひどい嫌悪感を抱いており、そのため私は彼に嫌悪感を抱いていました。私は毎晩彼の帰宅に合わせて、お風呂の準備を始めました。しかし、彼にそのお湯に入れと強いることもできないとわかりました。夫とはよくこのことについて言い合いになりました。それから、彼は、意図した目的通りには使わず、お湯をただ排水し始めました。私は夫がそうするのを何度か見つけましたが、その後、私は、彼が汚れたままでいたがるという事実を受け入れざるを得なくなりました。」
Конфликтные отношения: ИЛЭ – ЭСИ | Соционика от Стратиевской
前回タイトルの「ESIの言えないことば」という観点で読み返すと、興味深いものがあります。
ESI妻は夫に「嫌悪感を抱いていました」とはっきり言っていて、夫にしたこと・されたことは語っています。その一方、夫の具体的に何に「嫌悪感」を抱いたのか、実ははっきりとことばにしていません。そこに、「ESIの言えないことば」がこの嫌悪感の中身そのものである、ということが示唆されているな~と思っています。
今日はこのへんの話、ソシオニクスの用語を使ってもっと深堀りしていきます。
まずこのESI妻の語りですが、ESIの証明する機能の内向感覚(とILEの暗示される機能の内向感覚)について説明された箇所からの引用です。
証明する機能は、無意識ですがたえず情報収集をして様々なことを決めている裏ボス的な機能です。が、本人的には当たり前すぎることと思っているので、言葉で説明することはしません。
内向感覚はからだの感覚のことでした。この要素が強まると、不潔さ、暑さ、寒さ、ベタベタ、ギトギト、醜さ、疲労、悪臭…などなど不快な感覚にも敏感に気づくようになります。
証明する機能×内向感覚を持つESIは、こうした不快なからだの感覚には当たり前に気づいてしまいます。が、これまで言ってきた通り、ESIは何が不快なのかをわざわざ言葉にはしません。人の生まれ持ったカラダのことに対しては特にそう。たとえば「ちょっとニオイが…」とか、気づいていても言ってはいけない禁句だと思っているし、そのことばを無意識に抑え込もうとします。
だからESI妻は、黙ってお湯を沸かします。
お風呂沸かしたからすぐ入れるよ。
毎日帰宅を見計らってお風呂を沸かさないといけないけど、そのちょっとの行動で、夫がイイニオイになるなら全然いい。
…そう思っていたのですが、まさかILE夫が「汗かいたまま風呂に入らなかったらクサくなる」「人はクサいのはイヤがる」みたいな(ESI的には)当たり前の衛生観念を、まるで共有していないとは思わなかったでしょう…。
あー…今はいいや。大丈夫。あとで自分で勝手に入るし。
ESIの当たり前は、ILEにとっては全く当たり前ではなかったんです――。
おまけ:禁句といえばですが、私がだいぶ昔に、証明する機能のことを「禁じられた機能」と訳したいいんじゃないかと、持論を展開していたことがありました。
もちろん当時だってなんの根拠もない「妄想」でこんな記事を書いたわけではなかったですが、までも今回で、着眼点はわりと悪くなかったなということがわかってちょっとホッとしました